ボヤき4053節
24/09/18 06:33
主に仕事関係で発揮する事が多い、ワシの他人の観極めスキル。
とってもシンプルで、ワシが他人の品定めをする線引きは、口を利くか利かないかの2択。
ワシが他人に観切りを付けた時点からそいつに対して口を利かなく成り…
ほぼガン無視(笑)
既にワシの中で存在をないモンとして勘定する様に成るんで、自然とガン無視の流れに成るわな?(笑)
もう、ワシとしては観切り付けた時点でコイツと絡んでも獲られるモノもなければ、得する事もないと想うんで、喋る(口を利く)必要性が失くなるんよな?
利己的、合理的主義者のワシとしては最も効率性のエエ行動。
逆にワシが口を利く人間(他人)は観込みがある人間の証拠でもある。
愛想がないとワシがガン無視する人間達からは陰口を叩かれる事も多いが…
お前等ごときに愛想振り撒いたトコで何の得があり、その先何に繋がるねん?と。
残念ながら、イニシアチヴを握ってるのはワシの方やねんと。
お前等はワシから観切り付けられた人間で、ワシからしてみれば何の価値もあれへん人間なんやと。
価値あれへん人間に対して何で愛想振り撒かなアカンねん?と。
ワシは自分に不必要な対しては同調なんかせぇへんと迷わず切り棄てるタイプの人間(笑)
やって絡んだトコで「百害あって一利なし」やから。
もう、この生き方してる時点でお前等とワシに差があんねん。
1匹1匹が足りてなくて(能力が低くて)、同調せんと生きて行かれへん無能共と、孤立しても独りで生きて行く選択をするワシ。
まぁ、個々のスキル云々はさて置き、どっちの生き方の方がより個として成長し、スキルを磨けますか?っちゅう話し。
ワシから云わせれば「三人寄れば文殊の知恵」っちゅう言葉はあるけど、無能共が三人寄ろうが十人寄ろうが文殊の知恵はそこからは決して生まれないと想う質の人間。
そんな箸にも棒にも掛からない人間と絡み、無駄な愛想を振り撒いたトコで、ワシに何のメリットが?(笑)
ワシの生まれて育ったスパルタ教育とは本来そう云う教育であった筈。
出来が悪い者、足らず者は周りから置いて行かれ…
そこで尚追い付こうとせぇへん者には人間としての落第点のレッテルを貼られる。
トップ集団に喰らい付こうとした者のみ、仲間として認められ、存在を認識される。
ワシはある意味この教えに忠実に生きてるだけ(笑)
何個1でしか存在感を出せへん、無能共に興味なし。
そこへの仲間意識も当然ない。
毎日同じ現場で働くっちゅうだけで、仲間とか同僚とか、そない安い次元でワシは生きてへんつもり。
仲間どうかはワシが決めるし、その人選を含めた選択もワシ自身が決める。
ワシの人生やから。
口を利く、利かへんっちゅう行為(行動)はあくまでも判り易くしてるだけの事。
敵意を剥き出しにして、ボロカスに責めへんだけマシやと想うて貰いたいモンや。
ワシに同じ職場で働く仲間?同僚?認められたかったら、認められるだけの事をしてからにせぇ!っちゅうのがワシの理論。
足りてへんボンクラ共が対等感とか仲間意識を出して来る事程、不愉快極まりないモンはない。
(C)みんなのブログ
All rights reserved.