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スーパーヒールTAQのボヤき
by TAQ
ボヤき3961節
24/06/18 06:36
                                                        
このブログを観ても判る通り、漫才の賞レースがある度にそれについての個人的な感想や論評をネタにする程、漫才好きのワシ。




まぁ、この笑いの聖地に居れば、自然と笑いに対しては眼が肥えるし、漫才に対して人一倍アツい人間に成るのは無理ないわな(笑)




そんな漫才にはアツく拘りを持つワシが、最近ネットで観たオール巨人の「M-1の審査員を辞めた本当の理由」っちゅう記事。




観ると旧き善き時代の漫才師ならではの巨人の意見に感心させられた。




巨人曰く、最近の漫才師達のネタは老若男女誰もが判るネタが少なく成り、一部の世代ピンポイントしか判らん様なアニメのネタを出して来たり、ゲームのネタを入れて来たり…




と、審査員としてネタ元が判らんから伝わり難く、審査の判断基準として年々し難く成ってた、と。




テンポやリズム、漫才の技術の高さとかは判断出来るモノの、上手いなぁ〜?(技術が高いなぁ〜?)と想えても、単純に漫才のネタとして笑える事、そう云う漫才師達が現代には減ったと。




ワシもブログで時々遣うフレーズで、似た様な事を云うてて…




技術力は高い若手漫才師達は多くて感心する事は多々あんねんけど、単純にネタがオモロくて笑えるっちゅう、若手漫才師は現代にはなかなか居らんねんな?




技術力ばかりが向上する中で、昔みたいに馬鹿馬鹿しくて笑える、漫才自体がオモロいっちゅう漫才師が激減…




確かに巨人の云う様に、ワシですら判らん様なアニメネタやゲームネタ、ピンポイント世代ネタを織り混ぜ、その世代にしか共感を得られへん、笑いが起きひんネタも屡々観受けられるな、と。




漫才のネタも時代と共に変化し、巨人はそれに柔軟な姿勢で所謂「コント系漫才」が多なった現代の漫才、若手漫才師達も認め、オモロいと語ってたが…




ワシは現代でも喋繰り漫才こそが漫才の王道やと想うてるし、そこの技術を磨いてこその漫才師と想うてる質なんで、現代に溢れる「コント系漫才」や喋繰り漫才を崩す漫才スタイルを快くは想うてない。




まぁ、只でさえ他人を審査するのは難しいと云われる審査員の立場、昔の漫才師達が現代の漫才師達を審査するのは容易ではない事は想像出来るわな。




せやけど、やからこそ複数居る審査員の中で、1人位は時代に忖度する事なく、判らん漫才は判らん、じゃあネタが判らんから点数付け様がない…




と云う審査員が居っても個人的にはエエと想うし…




皆が皆、似た様な点数、80点台〜90点台後半の中で忖度した点数にする必要もなく、もっとバラ付きあっても、それはそれで審査員を複数用意してる意味やリアル性を感じんねんけどな。




上沼恵美子が審査員してる時に云うてた、「審査員かて命懸けでやってんねん」は確かにそう想うし、実際大変やと想う。




漫才師達の今後の人生を大きく変える一端を担うてる訳やから。




審査員も自身の審査に因って、ネットで叩かれる時代。




アンチも居れば、個々の笑いの好みが分かれただけで敵に廻して、叩かれてまう事もある。




と、成ると審査員に成るメリットってあんまりないわな?と(笑)




巨人に然り、上沼恵美子に然り、そんな中で審査員を続けて来た、重圧感、人には判らん苦労はワシ等が想像する以上にあったんやろな?と。




評価って難しい仕事やわな?




それでもワシは時代に忖度する事なく、自身の価値観に正直にこれからも勝手に漫才賞レースがある度に私的漫才評、漫才師評をこのブログに綴って行きたいと想う。



 




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