ボヤき3700節
23/09/30 06:51
携帯でのアクセスが突如出来ひんく成って、毎日更新が途切れ…
それを取り戻すべくパソコン経由からのアクセスで1日2日分のブログを描き、追い付いてから2ヶ月以上が経ち…
今年で10周年のこのブログも3700節(回)を迎えた。
携帯からアクセス出来ひんく成って以降、それ迄も過疎化の一途を辿る一方やったこのブログの数少ないブロガーも誰1人として、自身のブログを更新せぇへんく成り…
トップの更新ブログ欄にはワシのブログのナンバリングだけがズラりと羅列する日々に成ってもうた。
ある意味健気に毎日更新を続けるワシ。
結果的にワシが一番このブログに貢献してる最期のブロガーと云うてもエエやろ。
やからこそこのブログに文句を云う資格があると想うてるし、管理者を扱き下ろす権利もあると想うてる。
誰しもが横一列、云う資格や権利があると想うのは大きな間違いで、今日日の糞ガキ共は其処等辺の教育が成されてない、ポンコツ量産型ばかり。
日本は何時からこんな駄目な教育、躾が出来ひん(行き届かない)国に成ったんやろう…?
ワシがガキの頃は親を始めとする大人達から口酸っぱく「働かざる者喰うべからず」と教えられて来たし…
やるべき事をやらへん(やってない)人間にモノを云う権利(発言権)はない…と教育されて来た。
ワシはその教育は理に適うてるし、決して間違いではないと想うてるし、それをワシ自身がガキの頃から感じてたからこそ、それを受け入れて来たし…
そのマインドは現在もワシの価値観のベースと成ってる。
そんな大人達からの教育が何時からか失くなったのが哀しくもあり、この国の教育が駄目に成った一端な気がする。
やる事をやってて不平不満を云うヤツと、やる事もせぇへんのに同じ様に不平不満を云うヤツ。
これが一緒でエエ訳がない、平等や対等に感じる事への抵抗、違和感を憶えるのは人として当たり前に感じる事であるにも関わらず…
それが頭で判ってても、出来るヤツが少な過ぎる現実。
人生楽して講釈垂れれるなら、そりゃ皆楽な能書きを選ぶやろう。
が、そこに、そんな生き方(人生)に果たして意味があるのか?
そんな人間(お前)に価値はあるのか?
他人の評価や査定も大事やけど、結局自分自身の付き合いが人生では何人よりも永いのは当たり前な訳で…
自己査定はその中で一番大事ちゃうんか?と。
今日日の人間はそれが出来ひんと、自己評価も甘々。
自己評価が甘々やから他人の評価との大きなギャップ差に苦しみ、要らん挫折を味わうんではなかろうか?
大人達から受ける教育が全てではないが、そこから築く大切な基礎と成る価値観的な教えもあるのは事実。
そこが失われたのが、この国の教育堕落の一番の原因な気がする。
結局何が云いたいかっちゅうと、ワシにはボヤく権利があり、それだけの事を普段からしてるっちゅう事。
3700日もある時は他人を扱き下ろし、ある時は存在自体を否定して来た、それだけの生き方、自身への向上心や自己査定を繰り返しながら生きて来た自負がある。
単に50年生きて来たから…とか、年を重ねて来たから…だけで語れるモノやないし、それと一緒にされるのはワシとしては迷惑の極み。
人間やっぱりポリシーや信念を持って生きる事が如何に重要か…っちゅう事が、他人の出来、人間的仕上がりを観てて痛感するワシ。
ボヤき続けるのも、それを3700日も毎日続ける事も大変やし、誰にも簡単に真似出来る事ではない。
只単発で文句を云い、ボヤく事なら誰にでも出来るとは想うが…
その違いを教育出来る大人が居らんく成ったんが哀しくもあり、淋しいわな。
日本と日本人はこの先一体何処迄堕ちるんやろ…?
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