ボヤき3669節
23/08/30 05:53
世の中講釈垂れは至る処に居って…
勿論このブログを観て戴ければワシもその中の1人やっちゅう事はちょんバレな訳やが…
講釈垂れにも2種類の人間、タイプが在って…
他人の受け売りを羅列する様な講釈や、雰囲気だけで云うモノ云い的な安い講釈と、ワシの賢さや自分の考えや体験を基にした講釈と一緒にすなよ?
っちゅう気持ちは常にある。
ほぼ、判った様な事を云う講釈垂れは他人の受け売りや、何処かで聴いた事ある様な言葉の羅列で構成されてる講釈が多いが…
ワシの講釈はある意味ワシらしいっちゅうか、捻くれ要素満載、悪く云えば極端、極論的な講釈垂れな事が多く、誰にでも云えたり、聴き馴染みのあるフレーズや云い廻しではない事が多い。
それでこそワシは講釈垂れとしての値打ちが初めて出て来るモンやと想うてるし…
何処にでもある様な置きに行った講釈、ありきたりな講釈垂れには値打ちがないと想うてる。
そもそも誰かの受け売りの域を出ぇへん講釈には説得力がないと想うてるし、オモロ味にも欠ける。
もっと云えば、その講釈を垂れてる人間にすら魅力を感じひん。
独特な発想や独創性は人間的な魅力に繋がるし、個としての存在感を感じひんやろか?
誰でも容易に出来る発想や考え方、それを他人に対して垂れても意味がないし、他人との違いを示せない。
他より優秀、優れてる事を講釈を介して表したいんやったら、そこにはやはりオリジナリティーは必須。
何処かで聴いた事あるフレーズ、大人やったらその位の事誰でも云えるよね?的な感じの想定範囲内の講釈に留まる位やったら講釈なんか垂れへん方がマシ。
誰の為にも成らんから。
捻くれてても、その人らしさ、オリジナリティーを感じさせる様な講釈を垂れてこそ講釈垂れに成る意味が出て来ると想うし、講釈垂れとしての値打ちが出て来ると想うワシ。
講釈垂れなんか、聴く人間の上を行ってナンボ、予想外に感じさせてナンボやからな。
置きに行く様なベタな講釈垂れは要らん。
洞察力や観察力とそれを感じて脳内変換出来る賢さが真の講釈垂れには必要。
何でもスキルとセンスが必要っちゅう事や。
なんちゃっては所詮なんちゃって。
ぱちモンはホンモノには成られへんっちゅう事や。
なんちゃってハリボテの講釈垂れと同じ一括りにされても迷惑な話しやっちゅう、講釈垂れのワシ、そのワシがやってるこのブログの意義についての話しでした。
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