ボヤき3358節
22/10/23 00:01
中村俊太郎(俊輔)が今シーズン終了と同時に現役生活を引退する事に成ったらしい。
まぁ、俊太郎と云えばセルティック時代が一番輝いてたな。
その時は流石にワシも凄い選手やと想うてたし、扱き下ろす選手ではなかった。
が、セルティック時代に王様で迎えた2010年の南アフリカW杯の前年度に、自身の夢であったスペインでのプレイをしたくて、エスパニョールへ移籍。
そこでの挑戦を選択しながらも、いざ試合に出れなく成ったら掌返す様に日本に帰国。
南アフリカW杯メンバーに選ばれたいが為にJ復帰を決めた、この根性なしと、じゃあセルティックに何故居らんとエスパニョール行きを決めた?
何やってん?
と、当時ワシはコイツを扱き下ろし続け、それからワシの中のコイツの株は急降落。
日本人の悪いトコはカズを始めとして、神格化し過ぎる点、リスペクトし過ぎる剰りに現時点の評価に盲目に成る事やとワシは想うてて…
結局、今回のカタールW杯にも未だに香川や本田にサプライズで代表に入って欲しいっちゅう、盲目共や気違い共が跡を絶えんのは、これが原因の一端としてあるから。
中村俊太郎にしてもそう。
セルティック時代の凄さは勿論名実共に評価されて当たり前やと想うし、それを否定するつもりはないが…
そこからキャリア的に何の実績も残してないシーズンを過ごしてるのに、ずっとセルティック時代の栄光やその時の中村俊太郎の評価のまんま引き摺り続けるのはおかしい。
日本人は1回、海外で活躍したらその後がアカンくてもその1回に縋るっちゅうか、その1回を引き摺り続ける傾向がある。
神格化し過ぎやねんな。
結局、Jリーグ復帰後の古巣マリノスですら活躍を観せれず移籍。
もうこの時点で中村俊太郎のキャリア神話は終わってる筈やのに、未だ日本のフットボールのフの字も知らんカス共は中村俊太郎に過度の期待をし続けた。
その過度の期待の最たるエエ例がカズ。
その瞬間の選手の評価をちゃんと出来る土壌が日本にあれば、選手の引き際の観極め、もっと適性な引退時期があった様に想う。
クラブの広告塔に成って迄、嘗ての名選手が落ちぶれた姿、もう明らかにプレイヤーとしては観る陰もないのに、延命させて迄お前等は観続けたいか?と。
それはワシには残酷に感じて成らん。
結局はファンやサポーターのレヴェルが低いからこう云う事が起こる訳で、やからワシは日本はまだまだフットボール発展途上国であり、後進国のまんまで変わってないと云うねんな。
中村俊太郎の選手としての賞味期限はかなり前に切れてた。
それを本人も周りも気付かず、気付かせてやられへんかった末路。
そりゃ、選手自身がそれに気付き、スパッと引き際よう引退出来たら最高やで?
せやけど、周りがリスペクトし過ぎて、神格化し過ぎて教えてやれない、気付かせてあげられない日本の環境も、ワシは罪やと想う。
挑戦する事は大切やけど、それに周りが遠慮の空気を出したら終わり。
そこには平等な評価や、アカンならアカンと云える環境がないと。
結局もう選手として通用せぇへんのにカテゴリーを下げて迄ズルズルと醜くしがみ続けた中村俊太郎。
それこそ引き際の美学と云うか、引退のタイミングは難しいモンやが、中村俊太郎に於いて云えば、J復帰後のプレイを観る限り、引っ張り過ぎたと云わざるを得ない。
香川にしろ、本田にしろ、同じ事が云えると想う。
もう選手としては終わってるし、どの国であろうがトップリーグでプレイ出来る様なレヴェルにない。
香川に過度の期待を未だに抱く無知無能な日本人ファンは多いが、彼が若しJリーグに復帰し、J1で1シーズン過ごしても、神憑り的な活躍は出来ひんと想う。
それが現実であり、正しい現評価。
それを出来んと、嘗ての栄光や評価に囚われ、夢観て現実が観れなくなってる日本人、そんな国の何処に発展性と将来性があるのか?
ワシには甚だ疑問しかないわな。
剰りにも次元が違い過ぎて、ワシから観たら多くの日本人は未だスタートラインにも立ててない気がする。
現役生活を労うの言葉は別に構わへんねんけど、無駄な神格化さが中村俊太郎のキャリア後半全てをも高評価に変えてるのはやはり違和感しかない。
エエモンはエエ、アカンモンはアカン、その時その時を正しく評価出来る環境でないと。
それはそれ、これはこれ…とちゃんと判別出来、切り離して考えられる思考が日本人には求められる。
日本フットボール界は先ずそこから始めるべきやとワシは想うわな。
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