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スーパーヒールTAQのボヤき
by TAQ
ボヤき3352節
22/10/17 00:03
                                                                                                                
かなり前の事に成るが、9月26日に放送された「NNNドキュメント」の録画してたヤツを観たワシ。




内容は「冤罪と死刑」。




番組の内容をザックリ云うと…




30年前に起きた飯塚事件で当時犯人として捕まった男がDNA鑑定の結果が決定打と成り、死刑判決。




そして死刑執行された後、当時のDNA型鑑定の精度が証拠としては不十分と判定され、当時の飯塚事件はそれを除くと状況証拠だけやった為に、冤罪疑惑が一気に高なり…




遺族が再審請求をするも棄却。




冤罪で死刑にした事を公にされ、それが裁判で覆れば国の罪が明らかにされるのが不味くて棄却し続けてる…っちゅう内容やった。




この飯塚事件の事をワシは云いたかった訳やないんで、番組内容としてザックリと描いたんやが…




ワシ、このブログでも過去数回描いてると想うんやが、死刑っちゅう制度には反対の人間。




それは今回の飯塚事件のドキュメンタリー番組を観たから云う訳でもなく、冤罪があるから…っちゅう理由からでもなく…




人を殺めたらアカンっちゅう教えの中で、何故裁判所(裁判長)はそれを出来、許されるのかが疑問やから。




人を殺めたらアカン教えの下では、皆が同じであるべきやし、それは裁判長やから許されてエエモノでもなければ、肩書きがあるから特別視、優遇視されてエエモノでもないっちゅう事。




このドキュメンタリーの番組冒頭と最期にナレーターが「人は神の代わりに成れるのだろうか…?」と云うんやが…




人は神の代わりには成れへんし、神ですら人を殺める権利はないとワシは想うてる。




況してや裁判長ごときが、自分が実際体験した訳でもない、方々から上がる状況証拠の数々や、弁論だけで死刑、死刑じゃない判断をしてエエ訳がないし、そんな権限が与えられる事自体おかしい。




死刑制度を賛成の無知無能共に問いたいのは、じゃあ今回の様に死刑そのモノが引っ繰り返る、冤罪が起きた場合どうするん?と。




人を殺めたらアカン教えの下で犯罪者であろうが死刑と云う名の下に人を殺め、それが執行した後に間違いやと判った時、じゃあ何が残るん?




この過ちをどう補うん?




お前等死刑制度賛成派の理屈を基準にしたら、それを判断した裁判長が責任を取る形で殺められなければ成らん事に成るが?




人を間違うて殺めといて、それでも裁判長やからとか裁判所の決定やからとウヤムヤにするのはおかしないか?




そんな勝手都合な制度ある?




じゃあ、人を殺めたらアカン教えそのモノもなしとせぇ!っちゅう話し。




以前ブログで全く関係ない裁判長ごときが死刑をする位なら、殺された遺族の復讐を認めたれよ?とワシは描いたが、アカンとされる事をやるのは一緒。




裁判長やからエエとか、遺族やからアカンとか、その理屈はおかしい。




寧ろ被害者遺族の復讐殺人は許されず、したら罪に問われるのに対し、部外者中の部外者である裁判長が、死刑と云う名の下に殺人を犯し、それが喩え後に間違い、冤罪やと判っても何のお咎めもない事の方が理として成立せぇへんやろ。




結局、人を殺めてはアカンっちゅう教えの下に於いては誰もがやったらアカン事やし、それが制度上の事はと云えどもやったらアカンねや。




被害者の心情的には犯人(殺人者)を生かして欲しない気持ちは判るけど、じゃあその心情で死刑を正当化するんやったら、被害者遺族の復讐をOKにせぇよ?と。




それが被害者遺族にとって一番やん?




少なくとも部外者中の部外者である何も知らん裁判長っちゅう肩書きごときで死刑、死刑やないと決めるよりもワシは理に適うてる気がする。




極論は承知の上やけど、制度と勝手都合な状況を鑑みると現状の方がより理不尽な気がするのはワシの考え過ぎか?




いやいや、Mr正論のワシに限ってそない大外れ、見当違いな事は云うてない筈や。




誤解のない様に云うとくが、ワシは基本、死刑制度反対側の人間やから別に遺族の復讐を推奨しても居らんくて、殺人者が冤罪の可能性ある、なしに関わらず全て死刑にせず、無期懲役刑に留めとけよ、と。




これもこのブログでこの件を扱う時に云うてる事なんやが、刑務所に居る間に罪と向き合わせ、それに加害者自身が耐え切れなく成り、自殺する分にはエエとして、やはり他人が如何なる理由があっても人の死に手を貸す、加えるのは善くないと云うのがワシのブレない考え。




そこのラインは統一すべき事項であり、謂わばデッドライン。




そこがブレたり、あの人が善くて、他はアカンなんて糞みたいな基準、価値観が罷り通る様な世界があっては成らんとワシは想う。




アカン事は誰がやってもアカン、間違いは肩書きで覆される様じゃ、法律の意味がない。




それがMr正論としてのワシの主張であり、ブレない価値観。




冤罪で殺された人、浮かばれんで?




どう責任取るつもり?




加害者以上に拭うても拭い切れない罪を犯してんねんから。




しかも、裁判長共々、真犯人もイケしゃあしゃあとこの世に生き続けてるんやで?現在も。




こない理不尽な事、理不尽な制度ある?




もっと俯瞰的にモノ事を観られへんかね?




中立且つ冷静に。




そしたら、人を殺めたらアカン教えの下での死刑制度が如何にアホらしいモノか、勝手都合な制度かが観えて来るし、判ると想うわ。




冤罪があるから死刑がアカンちゃう。




死刑っちゅう制度であっても、人が人を殺める事には変わらん事への矛盾にワシは苦言を呈し、異議を唱えてるんや。



 




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