ボヤき3253節
22/07/10 01:01
一昨日の夕方、晋三ちゃんが死んだ事を受けて、民放各局が軒並み番組差し替え。
晋三ちゃんに所縁ある人も全く関係ない人も、その死を建前的に悼んだ一昨日の夜。
日本人らしいっちゅうか、偽善にまみれた光景やなと熟感じたね、ワシは。
もう1つのワシがやってるブログにも晋三ちゃんの死を扱うた内容が何処も彼処も溢れてたが…
個人的に晋三ちゃんと親交があった人間ならともかく、そない親交ない遠くの他人の死を悼むかね?正直。
リアルやないっちゅうか、嘘臭いねんな、その辺が。
じゃあ、路端に観ず知らずの人間が息絶えてて…
それが喩えば、路上生活者やったとして、そいつの死に心悼めますか?っちゅう話し。
次元は一緒やで?晋三ちゃんも路上生活者も知り合いでも何でもないっちゅう意味では。
そこが偽善で、身勝手な御都合主義なんよな。
親交があった訳でもないけど、晋三ちゃんの死に心を悼めてます…っちゅう、自己アピール?
他人の死を出汁に自分の好感度を上げる様な行為にしかワシには映らん。
一方で、民放各局が番組を差し替える中、TV東京系の局だけは通常通りの番組を放送したとして、ネットで助かった、あり難いと称賛する声が。
ワシはこう云う声の方が実際、人の心理としての本音やろう想うし、こっちの意見の方がリアルやと想うわな。
誰に対しての建前なん?と。
要る?そのエエ人アピール。
ワシ、身内でもあれへん、しかも親交もない晋三ちゃんの死なんか正直どうでもエエし、他人事の域を出る事は100%ない。
そのせいで民放各局のレギュラー番組が差し替えられる事の方が迷惑やし、その気持ちを隠すつもりもない。
実際、関係あらへんし、割りと近場の奈良で起きた事とは云え、非現実的さは否めない。
短絡的に偽善に走り、全くの他人事を自分の事の様に想えてまう人間が逆に凄ぇな〜と。
どんな浅はかで騙し騙しに生きて来たらそんな人間に成れるのか?
薄っぺらな底の浅い人間やな、と。
じゃあ、観ず知らずの人間の死に毎日心悼めとけよ。
そんなんしてたら精神保たんで?と。
そりゃ、嘘でも晋三ちゃんの死に心を悼めてます云うてた方が他人への印象はエエ想うで?
ワシみたいにド正直に云うよりは。
せやけど、芸能人や著名人ならともかく、一般人が聴かれてもないのに自ら、他人への好感度上げる為にわざわざ建前的に心悼めてますって云う必要、アピールする必要ある?
どんだけ大根役者やねんな(笑)
誰も一般人であるお前の好感度なんか求めてねぇわ!
これだけ正直に云うワシが性格悪いのか、それとも想うてへん事を口にして好感度を上げようとする狡い人間達の方が性格悪いのか?
一目瞭然やと想うねんけどな。
そない縁も所縁もなく、想い入れも故人との想い出もない赤の他人の為に泣いたり、心悼める事なんか日常である?
もうなそう考えると、お前等晋三ちゃんと親交も全くない一般人が心を悼めてる姿が嘘臭い様にしか観られへんし、映らんねん。
もっと自分に正直に生きようぜ!
別にわざわざワシみたいに悪態付く必要もないけど、敢えてこの話題に触れ、首を突っ込む事で偽善振る必要性もないやん?
非常にリアルではない、この誰の為なんか判らん、理解し難い建前的社会。
全く関係ない赤の他人の為に心悼めても、それが自分が死んだ時、返って来る事はないで?
やって、その赤の他人はもう既に死んでんねんから(笑)
御中元や御歳暮、年賀状と間違えてへん?(笑)
この偽善行為に持ちつ持たれつ、助け合いの静止は成立せぇへん。
因果応報と昨日のブログで語った様に、他人から全く恨まれる事のない人間がこんな目に遭う訳がない。
事故とか無差別テロやなく、狙われての死なんやから、理由はどうあれ何等かの恨みを買われての事やろし、確かに晋三ちゃんを観れば、恨まれてもしゃあないな…
と想う部分は国民なら誰しもが心当たりがあった筈。
その後の犯人の供述に拠ると、岡山から晋三ちゃんを付け廻してたらしいし、虎視眈々と殺すチャンスを伺うてたと成ると、相当な恨みを抱いてた事が判る。
少なくとも、なんちゃって悲壮感に駈られてる全くの第3者の国民達よりも、この犯人には晋三ちゃんへの個人的な恨みっちゅう関係性があった訳で。
そう云う(他人から恨まれる)部分があった人間に対して、即同情には走らんのが普通の人間(他人)としての正しい感情であり、感じる第1印象ちゃうかの?
全くの他人を身内みたいに感じれる程、普段お前等感受性豊かちゃうやろ?
そない常日頃アンテナ張って生きてへんやろ?と。
とある人の情報で、YouTubeの晋三ちゃんがやってるチャンネル?の登録者数が激増してるらしい。
こう云うの共々、安いねんお前等と。
日本人ってホンマにペラッペラで芯(ポリシー)ないヤツの塊やと熟想うわ。
全てが流行り廃り基準で生きてるっちゅうか、周りに流され過ぎて、自分っちゅうモンがないっちゅうか…
やからそう考えると、心悼める事そのモノが全て嘘臭く映ってまうんよな。
取って付けたっちゅうか、ハリボテ的感情、大根役者そのモノの胡散臭さ。
そう迄して虚偽る、偽善振る必要って何処にあるん?と。
ワシには永遠にこの安さ極まる心情や、短絡的思考の人間性が理解出来ひんわ。
興味ない人間は興味ない、関係ない人間は関係ないって本音で生きる事がそない難しいかの?
自分に正直に、本音で生きようぜ?
そんな取って付けた様な建前、何の役にも立てへんし、誰の為にも成らへんから!
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