ボヤき3180節
22/04/28 06:13
ホンマ、日本人てカタカナ(外来語)に弱い人種やと熟感じるわな。
自身の外来語の弱さを省みる事もせんと、自分等の都合宜しく、真実を捻じ曲げるのが御得意な様で…
まぁ、顕著に感じるのは海外からフットボーラーが来日した際の選手名。
現浦和のモーベリがエエ例。
本来の本人読みを無視し、勝手に英語読みにしてモーベルグとか名付けてまう始末。
同じく清水のベンジャミン・コロリ。
彼は旧ユーゴ圏のコソヴォにルーツを持つ選手で、本来なら旧ユーゴ圏はベンヤミン(コロリ)が正しいねんけど、これまた勝手に英語読みにする捻じ曲げを平気でやってる。
英語圏以外の人物を英語にする悪癖だけかと想えば、本家英語すらまともに出来てへん事もある。
ハーレーがエエ例や。
正しくは「ハーレー・デイヴィッドソン」やのに日本ではそれを云うと、それを云うたヤツがおかしな扱いを受ける。
「ハーレー・ダヴィッドソン」やろ?と。
じゃあ、日韓W杯で来日し、にわかファンが当時騒ぎに騒いだベッカムはダヴィッド・ベッカムなんか?と。
辻褄が合わん事すら御構いなしのこの感覚が同じ日本人として信じられへんし、恥ずかしい。
別に日本人として発音し難い訳でもないのに、湾曲する節操のなさ、事実を捻じ曲げて迄、日本独特のスタンダード化させ様とする姿(様)が不快感でしかない。
せめて名前位ちゃんと正しく(発音がし難いのであれば、極めて近い発音にする様に)云うたれよ?
本人に対して失礼じゃね?と想うてまうのはワシだけやろか?
じゃあ、お前等自身名前間違えられてずっと云われ続けても何とも想わんのか?と。
そのクセ、今シーズンからFC東京で指揮を執る監督は、昨シーズン迄監督やった新潟時代は「アルベルト」って平気で呼んでたのに、今シーズンから「アルベル」に成った。
監督本人の意向やったとしても、結局ワシが云う名前を正しく憶えられてへん事に対して本人が不満に想うてた事の証拠に成るやろし…
母国スペインでは最期の「T」や「D」を発音せぇへんっちゅう事での「アルベルト」から「アルベル」やったら、同じく日本人の多くが捻じ曲げスタンダード化させてる「レアル・マドリード」は明らかにおかしいと想わへんのか?と。
「レアル・マドリー」を「レアル・マドリード」と云うんやったら「レアル・ソシエダ」は「レアル・ソシエダッド」と云うべきなんやが…
「レアル・マドリード」と平気で我が物顔して云うヤツ等の殆んどが「レアル・ソシエダ」は「レアル・ソシエダ」と云うてる。
これが日本人の御都合主義、勝手さを物語ってる。
特にフットボール愛を自称するモノであれば、フットボールを好きに成る流れの中で、その母国の言語や文化、歴史も同時に情報として入って来てる訳で…
そこに自分の都合エエ様に捻じ曲げる時点で、フットボール愛も糞もない、只の冒涜でしかないとワシは想うてる。
まぁ、そんなヤツ等じゃ、ワシのフットボール愛、洞察力、観察力、フットボール眼には死んでも脚元に及ばん事は間違いない。
ワシは過去ずっと同じ日本人同士のフットボール絡みの会話の中で「ボカ・フニオルス」と云い続ける度に、「ボカ・ジュニアーズ」やろ?と似非フットボール通共に謎のツッコミ(訂正)をされて来た。
その度に「コイツ等(この日本人共)はアカンな…」と蔑んだ眼で観て来た。
無知とはホンマ恐ろしいモンやな、と。
何が恐ろしいって、その情報に対しての知識がない事以上に自分が無知っちゅう事にすら気付けない事が恐ろしい。
無知と気付けへんと、通例だけや雰囲気だけで語れ、他人に訂正しようとする姿こそが、一番の不細工。
曾て柿の種のCMでマツコ・デラックスが云うてた「当たり前を疑え」の台詞。
ワシはコレを現代の日本人全てに云うてやりたい気分や。
人の名前や名称は勝手に捻じ曲げてエエモンやない。
出来るだけオリジナルに近く、正しく云うべきであると、ワシは考えるし、それが相手への最低限の配慮であり、リスペクトなんやと想う。
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