ボヤき3005節
21/11/04 06:23
木を観て森を観ず…っちゅう言葉がある。
無知共諸君は自力で調べたまへ(笑)
まぁ、とにかくワシの周りはまさにそう云うヤツ等ばかりやから、日々ワシが疲れる。
喩えば数字で表して「2」の事を相手に伝えようとしよう。
じゃあ、その2を伝えようとした時、1+1=を用いるのか、4−2=を用いるのか、6÷3=を用いるのか…
アプローチが違うだけで応えは結果「2」やん?
せやけど、ワシの周りのボンクラ共はあくまでも「2」を伝えようとした時には1+1=2やないとアカン訳。
この喩え無知共には伝わり難いかの?(笑)
要はアプローチの仕方が違うても応えの「2」を伝える行き着くトコは一緒やねんけど、それがコイツ等には判らんらしい。
アプローチが自分の想うてた1+1=と違うとそう云う事を聴いてへんって成る。
会話だけの方程式ではなく、実際の行動に置き換えてもそうやん?
「2」に辿り着くのは決してやり方は1つやない事は判るやん?
それは人に拠ってやり方が違うのが、アプローチの違いであり、それを数字(計算式)で表したトコが1+1=であったり、4−2=であったり、6÷3=な訳。
せやけど、コイツ等の中には2=1+1しかないねん。
詰まりアプローチの方法が1つしかない事に成る。
やからワシとは話しが噛み合わん事があるし、ワシ側がストレスに感じる事が多々ある。
まさに視野が狭くて、眼の前の木は観えてんねんけど、全体の森が観えてへん状態。
俯瞰で観ろと迄はお前等出来損ない共に求めはせぇへんけど、せめて一歩退いて「林」位は観れる様には成って貰いたいモンやわな。
まぁ、ワシから云わせれば無能共の集まり。
日本人の8割りは「木を観て森を観ず」的な人間ちゃうか?
決め打ち、決め付けに頭(脳内)が縛られてもうて、それ以外を一切受け付けへん、硬さがもう人として致命的。
アホらしなるから会話もまともにコイツ等とは出来ひん状態。
アプローチの仕方が違う云う表現を出来る次元の人間達に囲まれとったら、ワシが日々ストレスを感じる事もないやろうが…?
まぁ、その願いは争い事が一切ない平和な世界と同じレヴェルの叶わぬ願いなんやろな。
根本的な違い?
掛け離れ過ぎてる感じ?
やからこそ、会話続けるのが怠なんねんな。
論外なんよ、基本も判ってへん様なヤツと絡む事が。
ワシに何1つメリットがない。
この無知無能共との会話で溜め息着いてる時点で終わってる。
会話でこの埋まらん差が出てんねんから、当然やる事にも差が出るのは当たり前やわな?
日々周りのレヴェルの低さ、体たらくさに溜め息の連続のワシ。
まぁ、とにかくやるせない。
何でこんなヤツ等がイケしゃあしゃあと生きれてるのかが不思議な位に。
堪りませんわ。
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