ボヤき1818節
18/08/05 08:10
ワシは人間が小さい。
広い心を持つ気がない。
せやけどワシはそれを寧ろ誇りに想うてる。
ワシのヒール生粋道とも云えるこのワシの人間の小ささは、世の中にエエ加減な人間(ズボラやルーズさ)への抑止力としての必要悪と感じてる。
皆が皆、何でも許す人間、広い心を持った人間に溢れてたらこの世の秩序は間違いなく崩壊、規律やルール、マナーっちゅう言葉が世界から消えるやろう。
現代の広い心を持つ人間は無関心、無責任に近い意味合いに変わり、ワシには決して褒め言葉には感じられへんねや。
ワシみたいな事細かな事に気付き、云う存在こそ現代には必要で価値がある存在と自負してる。
これ以上、糞やカスを世に蔓延させへん為にもワシみたいな所謂「小さい人間」は必要やと想う。
悪い意味合いとして遣われる「小さい人間」やが、他人が気付けへん事に気付き、それを妥協する事なく、他人に嫌われる事も厭わず公言し、指摘する…
それって単純に1人間の能力としては云われる側、指摘される側よりも上ではないやろか?
気付きもせず、ズボラやルーズな人間、また何にも想わんと惰性で生きてる人間、無関心や無責任に生きてる人間よりは、明らかに「小さい人間」の方が人として立派やと。
ズボラやルーズ、無関心や無責任に生きるのは簡単やし、糞でもカスでも出来る事。
誰にでも出来る生き方をしてては差別化は出来ひんし、自分が自分として存在してる意味がない。
その他大勢の括りより、100分の1、1000分の1の人間よりも、「人間が小さい」と云われ、周りから煙たがられてもワシは1分の1の人間で在りたいと想うし、そこにワシは人間の価値、存在価値を見出だしてる。
この糞人間、カス人間にまみれ、溢れ返る現代やからこそ「小さい人間」は必要やし、もっと増えてくべき存在。
許す事がデカい人間でそれで糞人間、カス人間が増殖する温床に成るなら、それを抑止する許さない小さい人間も世には絶対必要。
許す心の広い人間が飴的存在とするならば、ワシみたいな許さない心の小さい人間は鞭的存在。
ワシは鞭的存在な事を誇りに想う。
放任でこの在り様の時代には最も不可欠な存在やと想うから。
今こそ小さい人間が表舞台に立ち、褒め言葉として評価されてもエエ時代やとワシには想えるんやが…?
ゆとり教育制度以降、緩々でルーズな考え方、自分の好きな事、好きなタイミングでしか行動せぇへん、自分勝手な人間が増殖し、秩序が失われて久しい日本。
これに違和感を感じ、抵抗出来るのは心の小さくて事細かな事にも気付ける「小さい人間」だけなのかも知れない。
それは糞人間、カス人間で溢れ返った世界には必要な存在やなかろうか?
ワシはこれからも自身の人間の小ささを変えるつもりはない。
この小ささは有能やと想うから…
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